ハノーヴァー朝につながる娘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:44 UTC 版)
「ジェームズ1世 (イングランド王)」の記事における「ハノーヴァー朝につながる娘」の解説
長女エリザベスは、1613年にプファルツ選帝侯フリードリヒ5世と結婚した。陽気で美しく慈悲の心を持っていた彼女は、イングランドでも非常に人気が高かった。嫁ぎ先のプファルツでも領民たちから「慈愛の王妃」と呼ばれ慕われるほどであった。しかし、ボヘミア・ファルツ戦争(ベーメン・プファルツ戦争)で夫が皇帝フェルディナント2世に敗れると、全てを失ってオランダへの亡命を余儀なくされた。1661年にイングランドへ帰り、翌1662年ロンドンで死去した。 エリザベスは夫との間には13人の子を儲けたが、うち五女ゾフィーはハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストに嫁いだ。ゾフィー以外の兄姉およびその子孫はゾフィ―よりも早世またはカトリック教徒となったため、ゾフィ―が唯一の王位継承者となった。しかし、ゾフィーがステュアート朝最後の君主アン女王に先立って逝去したため、長男がジョージ1世(ハノーヴァー朝の祖)として即位した。今日の英国王位継承権を保持する人物は、全員がゾフィーの子孫である。
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