ノーフリート・ハウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:21 UTC 版)
「サフォークの包囲戦」の記事における「ノーフリート・ハウス」の解説
南軍はナンスモンド川上流の問題を解決するためにナンスモンド川下流、ハンプトン・ローズ近くにあった昔の砦、フーガー砦跡に砲台を構築して(後にヒルズポイント砲台と呼ばれた)、さらにサフォークの直ぐ下流、川の曲り目で、ノーフリート家が所有する農園近くに、第2の砲台を設置した。 4月14日、ラムソン船隊の水兵が川の崖下で新しい泥を発見し、砲台が建設されている明らかな印だと判断した。これはノーフリート・ハウス砲台の工事のものであり、ラムソンの艦船が砲撃した。この攻撃でUSSマウント・ワシントンが座礁し、動けなくなった。潮が高くなったときにUSSステッピング・ストーンズがマウント・ワシントンの離礁を助けた。砲艦の離礁は成功したが、海軍だけで川沿いを守ることができないのが明らかとなり、川で砲艦を利用することについて、ディクス将軍と、リー提督の間の内紛が始まった。ディクスは砲艦の利用を主張したが、リーは砲艦の安全性について疑問を持つようになった。 この時点で、ペックは川沿いから歩兵を退かせた誤りに気付いた。ゲティ将軍が直ぐに川に兵士を配置し、防衛のための砲台建設に取り掛かった。ゲティは川の東岸、ノーフリート・ハウス砲台の対岸にモリス砲台とキンボール砲台を建設した。4月15日、ゲティは砲撃を開始し、3時間の砲撃戦の後に南軍の大砲が沈黙した。この戦闘で、北軍の陸軍と海軍合わせて5名が戦死し、16名が負傷、1名が不明となった。 ラムソンとクッシングはこの障壁がもはや脅威にはならないことを知らされた。しかし、ラムソンとリーは川の安全性について懐疑的なままだった。ディクスとリーの間の議論は悪化し、最終的にはホワイトハウスまで届いた。陸軍と海軍の高官レベルの意見の食い違いが、ゲティとラムソンという低レベルの協業で反論されることになった。
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