ノタルバルトロ侯爵殺害事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 08:26 UTC 版)
「コーサ・ノストラ」の記事における「ノタルバルトロ侯爵殺害事件」の解説
マフィアが政治に介入した象徴的な事件として、1893年2月1日に起こった元シチリア銀行頭取エマヌエレ・ノタルバルトロ侯爵殺害事件が挙げられる。犯人として、政治家のラファエレ・パリッツォーロと彼の友人であるマフィアのボスが浮上した。 事件の原因は、彼が手形を偽造して銀行から融資を受けていたことを、ノタルバルトロに感づかれてしまったからであった。しかし、あらかじめマフィアが各方面に手を回していたこともあり、当局はこのことに関して調査しようとせず、この事件を捜査しようとした捜査官らは左遷され、直接殺害に関与したマフィアたちもまともに審議されずに釈放された。 これに憤慨したノタルバルトロの遺族は独自で調査を行い、裁判を要求した。かくてイタリア本土で裁判が行われることとなり、パリッツォーロらに有罪判決が下った。 このことに対してシチリアの有力者たちは激怒した。彼らが結成した「親シチリア委員会」は、「シチリア人が迫害されている! シチリア人を陥れようとしている者たちが我々にマフィアというレッテルを貼ろうとしている!」とのキャンペーンを展開し、裁判のやり直しを要求した。その結果、再度裁判が行われることとなり、1904年にパリッツォーロらは無罪放免となった。シチリア人たちは公権力に勝利したとして大いに満足し、それ以来マフィアという言葉はシチリアでは禁句となった。
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