ヌルとジャマ大統領の時代
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「プントランドの歴史」の記事における「ヌルとジャマ大統領の時代」の解説
2001年7月にユスフの任期は切れるが、その再選に関してソマリア中央の争いが影響を与えた。当時、ソマリア中央では2000年4月に成立したソマリア暫定国民政府 (TNG) と2001年3月に成立したソマリア和解復興委員会(英語版) (SRRC) が対立していた。対立の理由は複雑だが、簡単に言えばTNGはアラブ色が強すぎる:61、として反発してできたのがSRRCである。また、バーレ政権崩壊後にソマリア暫定大統領に選ばれたアリ・マフディ・ムハンマドの流れを汲むのがTNG、アリと覇権を争ったアイディード将軍の流れを汲むのがSRRCと見ることもできる:73。 ユスフはSRRCへの参加を表明し、さらにプントランド大統領の退任を拒否した。それに対抗してTNGはプントランドイスラム司法長官のユスフ・ハジ・ヌルを後押しした。もっとも、両者は必ずしも政策上のみで対立していたわけではなく、両者とも同じマジェルテーンではあるが、ヌルはユスフが属するオマル・マハムード支族ではなく、対立するオスマン・マハムード支族に属していた:260。 ヌルはオスマン・マハムード支族の軍閥を使って、2001年7月にプントランド首都ガローウェからユスフを追放し、ヌルが暫定大統領となったことを宣言した。ユスフは一族が住むプントランド南端の町ガルカイヨに拠点を移し、そこがプントランドの新首都だとして抵抗を続けた:74。 一方、ユスフを追放したヌルは正式な大統領となることをあきらめ、11月14日、新大統領にオスマン・マハムード支族のジャマ・アリ・ジャマが選出された。
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