ヌルガン城(金代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 06:23 UTC 版)
ヌルガンがいつ頃から城・集落として機能していたかは不明であるが、遅くとも女真人(ジュシェン人)の建国した金朝(アルチュン・グルン)の時代、13世紀には既に城が建設されていた。『元一統志』巻2には「(上京の)東北は哈州といい、ヌルガン(奴児干)城という。皆渤海(靺鞨)・遼(契丹)・金の建てた所のものであり、元は全てを廃止したが、城址は猶残っている」との記述があり、金朝の領域の東北に哈州=ヌルガン城が設置されていたことがわかる。 金代のヌルガン城については史料が非常に少なく、その設置背景・機能については不明な点が多い。ただし、『金史』巻24地理志には「金の国土の境界(金朝領最東端)は、東はギレミ(現在のニヴフ人)とウデカイ(現在のウデヘ人)などの諸々の境域に至る」とあり、女真人と隣接する黒竜江下流域や海外の樺太島北部に住まう諸民族との交流の管轄に関わっていたのではないかと考えられている。 ただし、この時代のヌルガン進出を主導したのはあくまで金朝を建国した女真人であって、ヌルガン城の設置と周辺諸民族の支配は「中国王朝の影響力の拡大」としてではなく、「女真(ジュシェン)人の勢力の拡大」と捉えるべきである、と指摘されている。
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