ヌミディア統一以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/19 05:58 UTC 版)
紀元前3世紀頃のこの地域には、東方のマッシュリー族(Massyli)と西方のマサエシュリ族(Masaesyli)という二つの部族連合が存在していた。 第二次ポエニ戦争では当初、マッシュリー族の王ガイア(ガラ)はカルタゴと結んで遠征軍に騎兵を提供してローマ共和国と戦い、マサエシュリー族のシュファクス王は、ローマと同盟を結んでいた。ヌミディア騎兵は、ハンニバルがイタリアに攻め込んだときに、大いに活躍し、カンナエの戦いなど一連の戦闘でローマ軍を大いに撃破して勇名をはせた。 ところが紀元前206年にガイア王が没すると、シュファックス王がマッシュリー族の王国を制圧し、ガイアの息子であるマシニッサはイベリア半島で大スキピオのローマ軍に降伏した。そこで、シュファクスはローマから離反してカルタゴと同盟を結んだ。紀元前204年、大スキピオ率いるローマ軍がこの地方を制圧し、シュファックス王はローマ軍の捕虜となった。ローマはマシニッサを統一王国の王として即位させた。ザマの戦いでは、マシニッサ王はローマ軍を支援してカルタゴ軍を破ることに貢献した。このとき、マシニッサが撃退したカルタゴの部隊もヌミディア騎兵であった。
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