ヌミディア統一以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/19 05:58 UTC 版)
マシニッサ王が率いる東方のマッシュリー族は、西方のマサエシュリー族を制圧して自らの王国に組み入れた。彼が統一した王国をローマ側は「ヌミディア王国」(Regnum Numidiae)と呼んだ。 マシニッサの最大版図は西隣はマウレタニア、東隣はカルタゴ、さらに東端はキュレナイカにまで達したという。 マシニッサの孫ユグルタは、ローマに反旗を翻してユグルタ戦争を引き起こした。紀元前1世紀に、ヌミディア西部はマウレタニアの王ボックス1世に支配下になった。しかし、ヌミディア東部およびキュレナイカまで達する広大な版図は、ヌミディア人の王によって支配され続けた。 ヌミディアはローマの同盟国として、ローマの戦争にしばしば支援部隊を派兵し、カエサルの『ガリア戦記』にも登場する。
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