ニューンズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 07:41 UTC 版)
「チェンバーズ百科事典」の記事における「ニューンズ時代」の解説
1944年、『チェンバーズ百科事典』の版権は、その10年ほど前から参考書を出版していたジョージ・ニューンズ社(英語版)(George Newnes, Ltd.)が取得した。1950年、『チェンバーズ百科事典 改訂版』(Chambers's Encyclopaedia, New Edition)が全15巻で出版され、大きな反響を呼んだ。『ブリタニカ百科事典』はこの改訂版について、執筆者の大半がイギリス人であり、方向性と保守性の面でイギリス的であると評している。編集長のマーグレット・D・ローは、この百科事典を「歴史的な名前を持つ全く新しい作品」と呼び、序文で「この百科事典は主にイギリスで制作されたものであり、従って、戦後のイギリスの知的雰囲気をある程度反映しているのは間違いない。これは、民族主義的な孤立主義ではなく国際的な協力を信じ、全体主義的な概念ではなく言論・信教・情報・結社の自由を信じていることを意味している」と述べている。この百科事典は、6年の歳月と50万ポンドの費用をかけて制作され、2,300名以上の執筆者がいると発表された。大法官のジョウィット伯爵ウィリアム・ジョウィット(英語版)は、この百科事典は第一次世界大戦以前にイギリスで出版された初めての大規模な百科事典であると述べた。 ニューンズ社の報告によると、この百科事典は大成功を収め、定期的に増刷が必要となるほどであり、その利益により大幅な改訂も可能となった。1961年の改訂版では、数百万語の改訂や差し替えが行われ、総ページ数の半分以上が何らかの形で変更された。この百科事典は学術的な業績として評価され、ロー編集長はその功績により大英帝国勲章(OBE)を授与された。ロー編集長は1963年に引退した。 当時の他の百科事典とは異なり、『チェンバーズ百科事典』は毎年の改訂を行わず、およそ5年の間隔で新版を発行することを試みた。1955年に新版が出版され、1961年にも新版が出版された。
※この「ニューンズ時代」の解説は、「チェンバーズ百科事典」の解説の一部です。
「ニューンズ時代」を含む「チェンバーズ百科事典」の記事については、「チェンバーズ百科事典」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からニューンズ時代を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からニューンズ時代 を検索
- ニューンズ時代のページへのリンク