ニュー・ヴァリューズ・ツアー・US
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「イギー・ポップ」の記事における「ニュー・ヴァリューズ・ツアー・US」の解説
アリスタは『ソルジャー』のレコーディング完了時の1979年10月に、アメリカで前作『ニュー・ヴァリューズ』をリリースすることを決めた。これにより、イギーは『ソルジャー』のレコーディング完了後、すぐに前作のプロモーションのために北米ツアーに出るという奇妙な状況に置かれることになった。行方をくらませたスティーヴ・ニューはツアーのリハーサルにも顔を出さなかったためにギタリストが足りず、イギーは元ダムドで、当時は新バンド、タンズ・ダー・ユースでキャリアを模索していたブライアン・ジェームズ(英語版)に参加を打診した。ザ・ストゥージズの大ファンだったジェームズは受け入れ、結果的に有名なブリティッシュ・パンクバンドの元メンバーが2人参加したツアーが実現する。ツアーは『ニュー・ヴァリューズ』のアメリカリリース直後、1979年10月の終わり頃から開始されたが、『ソルジャー』リリース日までに完了させる必要があったため、スケジュールが非常にタイトで、終了と共にブライアン・ジェームズはこれ以上の同行を拒否した。また、レコーディング中にアイヴァン・クラールにバンドマスター兼作曲パートナーとしての役割を取って代わられたマトロックも「同行している意味がない」と判断し、加えて『ソルジャー』の最終ミックスが気に入らなかったこともあり、ツアー終了後に離脱した。イギーのマネージャー、ピーター・デイヴィスもこの頃にイギーの前から姿を消した。ツアーは1ヶ月程度で終了したが、『ニュー・ヴァリューズ』のセールス強化には結びつかず、ビルボード最高位は180位に終わった。
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