ナバホ族絶滅作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 07:04 UTC 版)
1863年夏、合衆国のエイブラハム・リンカーン大統領はジェイムズ・ヘンリー・カールトン准将に命じ、保留地に入ることを拒んで抵抗戦を続けていたナバホ族の殲滅を命じた。カールトンは、テキサスでのカイオワ族やコマンチ族の絶滅作戦で実績のあった部下のキット・カーソンを南西部に送り込んだ。カーソンはナバホ族の作物を焼き、家畜を奪う焦土作戦で彼らの力を削いだ。 1864年、カールトンはナバホ族をサムナー砦の収容所ボスク・ルドンドまで、「ロング・ウォーク・オブ・ナバホ」と呼ばれる、徒歩連行を強制した。それまでの準備段階で、寒さと栄養失調から126人のナバホ族の捕虜が死んだ。強制収容所までの道程でさらに197人が死んだ。8000人のナバホ族の行きつく先のボスク・ルドンドには、アパッチ族がすでに強制収容されていた。宿敵同士のアパッチとナバホも、白人からは見分けがつかなかった。彼らはそこで強制労働に従事させられ、1868年に和平協定で元の土地に戻るまでに、2000人のナバホ族が死んだ。
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