ナチ党・突撃隊に参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 03:13 UTC 版)
「ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ」の記事における「ナチ党・突撃隊に参加」の解説
1930年にベルリンへ戻り、同年8月1日にナチ党に入党した(党員番号325,408)。 南米から呼び戻されたレームが1931年1月に突撃隊(SA)幕僚長に任じられるとヘルドルフも突撃隊に復帰した。1931年春にレームによる突撃隊の機構改革が行われ、ヘルドルフは同年4月にベルリン駐留の突撃隊第2連隊(SA-Standarte2)指導者(Führer)に任じられた。さらに同年7月に大ベルリン突撃隊下級集団(SA-Untergruppe Gross-Berlin)指導者、同年9月にベルリン=ブランデンブルク突撃隊集団(SA-Gruppe Berlin-Brandenburg)指導者とブランデンブルク大管区親衛隊(SS im Gau Brandenburg)の指揮官(Leiter)となった。 1931年9月12日にはベルリン大管区指導者ヨーゼフ・ゲッベルスの指示を受けて副官カール・エルンストとともにヨム・キプルに合わせた反ユダヤ主義行動を組織した。この件でヘルドルフ以下35名の突撃隊員がベルリン警察に逮捕された。裁判では弁護士についたローラント・フライスラー(彼はのちに人民裁判所長官となり、皮肉にもヘルドルフに死刑判決を下すことになる)の手腕のおかげで6か月の懲役刑という軽い判決で済んだ。同年12月から1932年2月まで刑務所に収監された。 1932年4月から1933年10月まで第3選挙区(ポツダム第2地区)のナチ党の名簿からプロイセン議員に再選出された。 1932年9月よりベルリンを本部とし、5個突撃隊集団(ベルリン=ブランデンブルク突撃隊集団、オストマルク突撃隊集団、シュレージエン突撃隊集団、ポンメルン突撃隊集団、ノルトマルク突撃隊集団)を管轄する第1突撃隊上級集団(SA-Obergruppe1)の指導者に任じられる。
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