ド・ゴール以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 00:26 UTC 版)
ド・ゴールの死、および1976年のUDRの解散以来、ゴーリストが誰を指すかははっきりしていない。 1980年代から90年代の語法ではゴーリストはUDRを改組したジャック・シラクの中道右派政党共和国連合を指し示した(後に国民運動連合に統合され解消、現在は共和党と改称)。 シラクはゴーリストであり、1970年代半ばにフランス首相を務めた時期に、経済政策の遂行にあたり計画経済路線とレッセ・フェール路線の両方でアプローチしたことがあった。また1978年、パリのCochin病院入院中に出した有名な反欧州主義的宣言 Appel de Cochin では、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領のフランス民主連合がとる欧州主義やEEC拡大路線を公然と非難した。 しかし後年、シラクは親ヨーロッパ的(親EU)スタンスをとるようになった。それゆえ、右派の中には、シャルル・パスクワのように、シラクと彼の政党を「真のド・ゴール主義者」ではないと非難している者もいる。シラクの後任であるニコラ・サルコジ大統領は、フランスがNATOに完全に復帰するという決定を2009年に下した。この決定は野党だけでなく、与党の国民運動連合の内部においても、とくにアメリカとの関係におけるフランスの独自的立場を損ねるものとして「ゴーリスト」たちの反発を招いた。 左派の中にもド・ゴール主義者はいる。ド・ゴールの政権運営手法を「恒久的なクーデター」と呼んで非難していた社会党の大統領フランソワ・ミッテランでさえ、核抑止力の維持、およびフランスの独立路線を主張することに極めて熱心であった。
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