デンマーク人の合流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/11 05:07 UTC 版)
4月5日にスウェーデン人要員半数の帰国が近づくとデンマーク人がこれを引き継いだが、これはドイツ側とスウェーデン外務省の了解事項であった。デンマーク人はバス33台、救急車14台、トラック7台、乗用車4台を持ち込み、デンマーク外務省のフランツ・ファス(Frants Hvass)に率いられていた。デンマークの派遣団はスウェーデン遠征隊と協力し、4月8日から「白バス」はスウェーデン=デンマーク混成遠征隊となりスウェーデン人が指揮を執った。デンマークの車両も白く塗装されていたが、赤十字の代わりにデンマーク国旗のダンネブロを描いていた。 普通の刑務所に収監されている収容者は別に分類され、「白バス」は4月の間はこれらの収容者のみを収容することが許されていた。4月9日にフォルケ大尉が率いるスウェーデン=デンマーク混成遠征隊の輸送隊は様々な刑務所から200名を収容するためベルリンへ向かった。彼らの居所はフォクト=スヴェンソンの調査で判明していた。ヴァルトハイム(Waldheim、ドレスデンの東)、ドレスデン、コトブス、ルッケイ(Luckay)、ツィーティン(Zeithin)、グロイチェ(Groitsch)といった20箇所の刑務所から合計211名の収容者が収容された。4月11日のノイエンガンメへの復路の途中で輸送隊は、「白バス」と似た白く塗装され赤十字の標識を付けたドイツ側の車両を初めて目撃した。4月15日に遠征隊はメクレンブルク(Mecklenburg)の刑務所から524名の収容者を収容した。
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