ブライアン・アダムス (プロレスラー)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ブライアン・アダムス (プロレスラー)の意味・解説 

ブライアン・アダムス (プロレスラー)

(デモリッション・クラッシュ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 15:29 UTC 版)

ブライアン・アダムス
プロフィール
リングネーム ブライアン・アダムス
クラッシュ
デモリッション・クラッシュ
ジ・アメリカン・ニンジャ
ザ・デーモン
コナ・クラッシュ
本名 ブライアン・アダムス
ニックネーム 粉砕戦士
人間鉄橋
アイアン・マッスル
身長 198cm
体重 143kg
誕生日 1964年4月14日
死亡日 (2007-08-13) 2007年8月13日(43歳没)
出身地 アメリカ合衆国
ハワイ州カイルア・コナ
スポーツ歴 ボクシング
トレーナー 新日本プロレス道場
デビュー 1987年
引退 2003年
テンプレートを表示

ブライアン・アダムスBrian Adams1964年4月14日 - 2007年8月13日)は、アメリカ合衆国プロレスラーハワイ州カイルア・コナ出身。新日本プロレスの練習生を経て[1]WWEWCWで活躍した[2]

来歴

アメリカ空軍の隊員として日本の横田基地に配属されていた際、新日本プロレスの試合を見てプロレスラー転向を決意[1]。除隊後の1986年、かねてからの希望通りに練習生として新日本への入門を果たすが、ビザの関係で日本でのデビュー戦を行うことはできなかった。この練習生時代に武藤敬司主演の映画 『光る女』(相米慎二監督)に敵役で出演している。

帰国後、オレゴンおよびワシントン州NWA傘下団体Pacific Northwest Wrestling(PNW)にて1987年にデビュー[1]。日本でトレーニングを積んでいたことから、ジ・アメリカン・ニンジャなるニックネームが与えられる。新日本プロレスに参戦経験のあるザ・グラップラーとのタッグチーム "レッキング・クルー" で活動し、1989年12月14日にNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取[3]1990年4月21日にはシングルのNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座も獲得した[4]

この間、1988年覆面レスラーミッドナイト・ソルジャーとして新日本プロレスに逆上陸している[1]。素顔ではなかったものの、これが新日本の元練習生であったアダムスの実質的な日本デビューとなった。1989年には素顔のブライアン・アダムスとして全日本プロレスに参戦[1]。目立った活躍はなかったがTVマッチに出た際、解説のジャイアント馬場からは「この選手は基礎がしっかり出来ていますね」などと評価された。

WWF

1990年6月、体調不良でセミリタイアすることになったデモリッションのチームリーダー、アックス(マスクド・スーパースター、ビリー・クラッシャー)の交代要員として、デモリッション3人目のメンバー、クラッシュを名乗りWWFに登場[2]。タイトルをアックスから譲り受け、スマッシュ(クラッシャー・クルスチェフ、リポマン)とのコンビでWWF世界タッグ王座にも戴冠している[5][6]。同年夏にリージョン・オブ・ドゥーム(LOD)がWWFに移籍してくると、アルティメット・ウォリアーも巻き込んで軍団抗争を展開した。1991年レッスルマニア7では、スマッシュと組んで天龍源一郎&北尾光司と対戦している[7]

デモリッション解散後の1991年下期には、WWF時代と同じリングネーム、コスチューム、キャラクターで古巣のPNWに転戦。10月12日にはリップ・オリバーを破り、NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を再び獲得している[4]1992年5月からはベビーフェイスのシングルプレーヤーとしてWWFと再契約。ニックネームをコナ・クラッシュに、ハワイのサーファーをキャラクターとした爽やか路線で売り出した[2]。その後、ヒールに転向してランディ・サベージらと抗争を展開したものの、1995年3月、ステロイド剤の購入とスタンガンの不法所持で逮捕投獄され、それがもとでWWFを解雇される[6]

しかし1996年8月、弁護士を名乗るクラレンス・メイスン[8]マネージャーに「執行猶予処分」という設定のもと、実生活上のトラブルをギミックに取り入れた形でWWFに復帰[2][6]ストリートギャング風のキャラクターに変身し、ファルークが結成した黒人至上主義団体:ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)(モデルはマルコムXの影響下にあったブラックパンサー党)に加入。白人でありながらファルークのボディーガードとして悪名を轟かせ、同時期にWWFと再契約したLODやアーメッド・ジョンソンらと抗争を繰り広げた[2]

ファルークと仲間割れした1997年には、ディサイプルズ・オブ・アポカリプス(DOA)というバイカー系のユニットを結成[9]。PNW時代の抗争相手でもあった8ボール&スカル(ブルーズ・ブラザーズ)、チェインズ(ブライアン・リー)をメンバーに、リーダーとして活躍した[2]

WCW - WWE

WWF離脱後はWCWに移籍。リングネームを本名に戻し、nWoハリウッドのメンバーに加入[2]ハルク・ホーガンのパートナーになったこともある。1998年にはnWoジャパンのメンバーとして新日本プロレスに来日した[10]

その後はキッスとのコラボレーションで生まれたザ・デーモンへの一時的な変身を経て、2000年ブライアン・クラーククロニック(KroniK)を結成[11]WCW世界タッグ王座を2度獲得したが、ダーク・カーニバル(グレート・ムタ&バンピーロ)にタイトルを奪われてからは王座に返り咲くことはなかった[12]。以降はナチュラル・ボーン・スリラーズとの抗争などが組まれるも、負けブックが多くなっていた。途中クラークが負傷したためシングルで戦っていたが、自身も虫垂炎を患い、以後クロニックがWCWに登場することはなかった。

WCW崩壊後はWWEの契約選手には入れず、プロゴルファーへの転身も噂されたものの、2001年9月にスティーブン・リチャーズの用心棒としてクラークと共にWWEに復帰[2]ジ・アンダーテイカーのバイクを攻撃して喧嘩を売り、同月23日に行われたアンフォーギヴェンでアンダーテイカー&ケインのWCWタッグ王座に挑戦した。しかし、これが大凡戦となり、WWEからディベロップメント契約(下部団体での再調整)への条件変更を要請される[2]。クラークはその条件に不満を持ち退団。アダムスは下部組織のHAWで活動することになったが、すぐに解雇された[2]

日本での活動 - 引退

解雇後の2002年7月、クロニックとして全日本プロレスに登場。同月17日に武藤敬司&太陽ケアから世界タッグ王座を奪取する[13]。以降も全日本プロレスにおいて、マイク・バートン&ジム・スティールや武藤&ビル・ゴールドバーグなどのチームと対戦したが[2]、アダムスのプロボクサー転向(結局は実現せず)のためにクロニックは解散することになった。

2003年1月、ファンタジーファイトWRESTLE-1にクロニックとして一夜限りの復活参戦。しかしこの試合も酷評され、その後アダムスは背中と肩の怪我のため引退することになった。引退後は、ラッパーとしても活動しているランディ・サベージボディーガードを務めた[6]

死去

2007年8月13日、自宅のベッドで意識がなく倒れているところを妻が発見し、救急隊員が駆けつけるも死去していた。43歳没。

得意技

クラニアム・クランチ / コナ・クラッシュ
相手の頭を両掌で掴んで押し潰すアイアンクロー。WWFのクラッシュ時代に使用。
ハイタイムダブル・チョークスラム
クロニック時代のクラークとの合体技。
フルネルソン・バスター
プレス・スラム
ハート・パンチ

獲得タイトル

パシフィック・ノースウエスト・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
全日本プロレス

脚注

  1. ^ a b c d e 『THE WRESTLER BEST 1000』P226(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f g h i j k Brian Adams”. Online World of Wrestling. 2020年7月5日閲覧。
  3. ^ a b NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年7月5日閲覧。
  4. ^ a b c NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年7月5日閲覧。
  5. ^ a b WWWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年7月5日閲覧。
  6. ^ a b c d "Crush" Brian Adams dead at 44”. SLAM! Wrestling. 2007年8月13日閲覧。
  7. ^ WWF WrestleMania VII”. Cagematch.net. 2020年7月5日閲覧。
  8. ^ Clarence Mason”. Online World of Wrestling. 2010年9月17日閲覧。
  9. ^ Disciples of Apocalypse”. Online World of Wrestling. 2020年6月23日閲覧。
  10. ^ The NJPW matches fought by Brian Adams in 1998”. Wrestlingdata.com. 2020年7月5日閲覧。
  11. ^ KroniK”. Online World of Wrestling. 2020年7月5日閲覧。
  12. ^ a b WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年7月5日閲覧。
  13. ^ a b 世界タッグ王座: 歴代王者”. 全日本プロレス. 2020年7月5日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブライアン・アダムス (プロレスラー)」の関連用語

ブライアン・アダムス (プロレスラー)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブライアン・アダムス (プロレスラー)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのブライアン・アダムス (プロレスラー) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS