デモステネス到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:52 UTC 版)
デモステネスとエウリュメドンは73隻の船と5,000の重装歩兵と共に到着した。アテナイ艦隊が到着すると、湾内で80隻のシュラクサイ艦隊がこれに攻撃をかけた。海戦は2日間続いたが、決着はつかなかった。シュラクサイ艦隊は撤退するふりをして、アテナイ艦隊の食事中に奇襲をかけたが、7隻を沈めたに留まった。 デモステネスは上陸すると、エピポライ台地のシュラクサイ軍対塁壁に夜襲を行った。この攻撃で壁を破壊することに成功したが、スパルタ軍のボイオーティア兵が撃退した。多くのアテナイ兵が崖から落ちて死に、また逃走した残りの兵の一部も殺された。 結局デモステネスの到着はアテナイ軍に大きな影響を与えなかった。アテナイ軍野営地は湿地帯の近くにあり、ニキアスも含めて多くが病気になっていた。これを見たデモステネスは、デケレアを奪取したスパルタからアッティカを守るためにアテナイに撤退すべきと考えた。当初は遠征に反対していたニキアスは、シュラクサイにもスパルタにも、さらにアテナイ本国にも弱みを見せたくなかった。もし撤退したらアテナイで敗北の責任を問われて裁判にかけられる可能性が高かった。ニキアスはシュラクサイの軍資金がやがて尽きることを期待しており、さらにシュラクサイ内部に親アテナイ勢力があって反乱の準備ができているとの情報も得ていた。デモステネスとエウリュメドンは不本意ながらもニキアスが正しいだろうと同意した。しかしペロポネソス同盟の援軍が到着すると、ニキアスも撤退に合意した。
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