ディナンへの進撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:55 UTC 版)
攻勢を再編するため1日をかけた後、装甲教導師団は遂に出立した。戦闘を繰り広げながらサン・テュベール(英語版)を突破し、ディナンとマース川への道は再び開かれたかのようであった。夕暮れ時に、ディナンへの途上にある次の街ロシュフォール(ナミュール州)(英語版)への入り口である、ロム川(英語版)に沿った岩がちの峡谷道を前にして、自ら師団の前衛を率いていたバイエルラインは、部下へ向けて叫んだ。 「よし、行こう! 目をつぶって前進だ!」("Also los, Augen zu, und hinein!") 攻撃部隊の第902装甲擲弾兵連隊は、銃火による壁に直面した。その後も、前進はいささかなりと簡単になることもなかった。街の中央広場近くではヤークトパンター駆逐戦車の1輌が擱座した。12月23日の夜を徹して、師団はロシュフォールの街を制圧するために戦い、大きな損害を被った。第84歩兵師団(英語版)の1個大隊と、駆逐戦車の1個小隊その他で構成されたアメリカ軍守備隊は、翌日に遂に撤退した――25名の戦死者と15名の負傷者を出したのみで、精鋭の装甲師団を丸一日間食い止めた後であった。後にバイエルラインは、ロシュフォールの防衛をバストーニュのそれと比較した。 装甲教導師団は2度に渡って第2装甲師団への救出行動を取り、ユマン(フランス語版)の再奪取に成功したものの、そこから先には進めなかった。第9装甲師団(英語版)による救出行動もまた失敗した後に、装甲教導師団は後退の命令を受けた。第2装甲師団の「戦闘団」の中では、コシェンハウゼン少佐と配下のおよそ600名のみが徒歩で、師団の装甲装備は進撃する連合軍を前にほとんど放棄して退避しおおせた。マース川へ到達することはなかった。「ラインの守り」作戦は失敗となった。
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