テクノポップ再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:41 UTC 版)
2000代後半、中田ヤスタカによる数々の音楽プロジェクトの成功により、2007年から日本国内で2回目のテクノポップ・ムーブメントが起きたことで、アコースティック感を持たない、極めて抽象的なシンセサイザー音(「ピコピコ」と形容される音)が主体の音楽が多数作られるようになって行った。同時に、PC上のDAWによる打ち込みが主流となり、音楽表現が劇的に高度化・複雑化した。PC上のDAWによる打ち込み主体の音楽に移行した原因としては、顧客の趣味嗜好の細分化によりCD不況とも呼ばれる状況に移行してしまったことで制作費用が掛けられなくなり、スタジオ・ミュージシャンの起用などが難しくなったことも影響している。更に、PCやインターネットへの常時接続環境の普及により、個人が容易に情報発信を行えるようになり、アマチュアが自主的に音楽配信を開始したことで、ネットを中心とした音楽シーンなども形成されるようになって行った。インターネットを介した情報交換が国家を跨いで活発に行われた結果として、音楽ジャンルの融合が加速し、音楽表現そのものが飛躍的な高度化を見せた。2000年代も末になると、ネット発の音楽家が多数表舞台に立つようになった。
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