チャップマン亡き後・セナの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:48 UTC 版)
「チーム・ロータス」の記事における「チャップマン亡き後・セナの活躍」の解説
1983年からはチーム監督として、長年ロータスに在籍していたピーター・ウォーが就任することになる。そしてこの年ルノー・ターボエンジンを獲得し、ターボ時代へ突入する。しかし、ルノーEF1を搭載した93Tは安定せず、シーズン前半はDFVを搭載し、画期的なアクティブサスペンション持つ92も使用していた。シーズン途中にアルファロメオよりマシンデザイナーのジェラール・ドゥカルージュが加入し、彼の設計した94Tにより徐々に速さを取り戻していく。 1984年に投入した95Tは、エンジン供給元のルノーワークスを上回る速さを見せ、エリオ・デ・アンジェリスがシリーズ3位に入る。 1985年には、前年トールマンで新人ながら光る速さを見せていたアイルトン・セナを獲得する。ちなみにセナの加入に伴い、チーム離脱を余儀なくされたのが、後のワールドチャンピオン、ナイジェル・マンセルである。セナを獲得したロータスはトップ集団に復帰する。中でも予選でのセナは速さは特筆もので、シーズン最多の7ポールポジションを獲得し、雨絡みのポルトガルGP、ベルギーGPで初勝利と2勝目を挙げた。 1986年、ルノーのワークス活動縮小、撤退にともない、ロータスへのエンジン供給に全力を注ぐようになる。そのかいあって、四天王(ピケ・マンセル・プロスト・セナ)による激しいチャンピオン争いを繰り広げることになる。セナはこの年も最多の8ポールポジションを獲得し、前半戦のタイトル争いをリードした。しかし、惜しくもチャンピオンには後一歩手が届かなかった。
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