チェコスロバキアへの潜入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 00:48 UTC 版)
「エンスラポイド作戦」の記事における「チェコスロバキアへの潜入」の解説
1941年12月28日、アンソロポイドの二人は2つの他のグループ(シルバーAとシルバーB)と共にHalifax機に搭乗し、英国南部のポーツマス/サウザンプトンに近いタングミア空軍基地を22:00に離陸した。”Silver A/シルバーA"はA・バルトシュ少尉(Alfred Bartos)、J・バルチーク軍曹(Josef Valcik)、J・ポトゥチェク通信士(Jiri Potucek)の3名で構成され、その任務はチェコの抵抗運動組織との接触を確立し、ロンドンとの連絡を確保することだった。”Silver B/シルバーB"はJ・ゼメク(Jan Zemek)とV・サシャ(Vladimir Skacha)の2名で送信機を携行しており、通信連絡をする任務が与えられていた。3つのグループはあらかじめ決められていたチェコ内部の3つの地点に降下する予定だった。しかしどのグループも予定されていた地点には着地できなかった。アンソロポイドは予定していたプラハ西方のプルゼニ(独名:Pilsen)近くではなく、プラハ東方12マイルのネフヴィズディ(Nehvizdy)近くに着地した。幸運にも彼らはその土地の人々に助けられ、地元の抵抗運動グループと連絡を取ってもらい1月までにはプラハの隠れ家に入ることができた。2月にはプルゼニに落ち着いていたシルバーAのバルチークとの連絡も確立した。
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