ダービー、コヴェントリー、ブラックバーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 08:07 UTC 版)
「リー・カーズリー」の記事における「ダービー、コヴェントリー、ブラックバーン」の解説
1992年からダービー・カウンティFCでキャリアを始め、公式戦150試合に出場する。1998-99シーズンは、開幕前の5月にエヴァートンFCからクレイグ・ショート(en)とのトレード、後半戦にもエヴァートンとアストン・ヴィラFCからのオファーをそれぞれ拒否して残留を選択しているが、1999年3月に移籍金337万5000ポンドでブラックバーン・ローヴァーズFCと4年契約を締結した。この移籍は、ブラックバーンが降格の危機にあったことで驚きを持って伝えられており、金銭的な理由と揶揄されたが、カーズリーは真正面から否定し、「ダービーは確かに欧州カップ戦出場を狙える位置にあったが、ブラックバーンは数年前にプレミアリーグ優勝を果たしたように本来は上を狙えるビッグクラブであり、現在のリーグの順位は考慮していない」と語った。しかし、ブライアン・キッド(en)監督によって12月から1800万ポンドも掛けて大型補強されたチームを救うことが出来ず、フットボールリーグ・チャンピオンシップへと降格している。 2部で過ごすこととなった1999-2000シーズンは、主将を務めてチーム最多の得点を挙げる奮闘を見せたものの、チームは11位で昇格を逃しており、翌2000-01シーズンになるとグレアム・スーネス監督の構想外となったため、2000年12月にガリー・マカリスターの後釜として移籍金250万ポンドでプレミアリーグのコヴェントリー・シティFCと4年半契約を締結した。2000年2月には、移籍金190万ポンドでエヴァートンFCと4年半契約を締結した。
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