ダコタ準州での生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 10:09 UTC 版)
準州となった後しばらくの間、人口の伸びはゆっくりだった。その後1870年から1880年にかけて「ダコタ・ブーム」となり急激な伸びとなった。初め人口の伸びがゆっくりだったのには多くの理由があった。主な理由として、スー族インディアンが大変敵対的と考えられており、初期開拓者には脅威となっていた。その勢力は徐々に平定されてゆき、脅威はそれほど深刻なものではなくなっていった。人口増加は鉄道網の発展、特にノーザン・パシフィック鉄道に負うところが大きかった。ダコタ準州にやってくる開拓者は、他の西部準州からの者もいたが、ヨーロッパの北部と西部から来る者も多かった。その中には多くのノルウェー人、ドイツ人、スウェーデン人およびカナダ人がいた。 ダコタでの生活は農業と肥沃な土壌により営まれた。小麦が準州の主要換金作物となった。1880年代には小麦価格の下落や、ひどい旱魃に見舞われ、準州は経済的困難に直面した。その他の経済活動としては鉱業と牛牧場業があった。ブラックヒルズで金脈が発見され、その地域に多くの開拓者を惹きつけた。この人口増加によって、食肉生産量の増加が必要となり、牛牧場の経営はダコタの広大な土地において傑出したものになっていった。
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