タハルカのキオスク(パピルス柱)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
「カルナック神殿」の記事における「タハルカのキオスク(パピルス柱)」の解説
前庭には第25王朝のタハルカ(英語版)(紀元前690-664年)のキオスクの一部であった10本のパピルス柱のうち1本が残存する。もとは東西に出入口のある露天構造であり、神殿の儀式に関連したとも考えられるこの構造物は、その後、第26王朝(紀元前664-525年)のプサムテク2世(英語版)(紀元前595-589年)のものとなり、プトレマイオス朝の時代に修復を受けた。
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