タテカワ講の富士塚とは? わかりやすく解説

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タテカワ講の富士塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 03:24 UTC 版)

タテカワ講」の記事における「タテカワ講の富士塚」の解説

満翁徳行33回忌記念して稲毛神社境内浅間神社付近に建立され石碑台座部には「惣同行」と彫り30上の町タテカワ講指導者の名を刻んでいる。このことから川崎宿タテカワ講当時多く講を擁していたことがうかがえる川崎宿周辺富士塚タテカワ元講やその講が築造、または支援したものは下記のとおりである。 名称所在地 備考浅間神社神奈川県川崎市川崎区宮本町 稲毛神社境内 道路拡張により、浅間神社石碑本殿裏手移された。 岡津富士神奈川県横浜市泉区岡津町 向導寺 恩田富士神奈川県横浜市青葉区しらとり台 神鳥前川神社 青葉区恩田町にあった富士塚消滅したため、石碑移された。 棒田谷富士神奈川県横浜市港北区大倉山6丁目46番地 現在は立入禁止区域小倉富士神奈川県川崎市幸区小倉 小倉神社 現在の小倉西住付近から移築された。 南加瀬富士神奈川県川崎市幸区南加瀬 天照皇大神 現在の幸区矢上から移築された。 上依知富士神奈川県厚木市上依知 浅間神社 昭和15年中津飛行場建設時消滅。元の高さは6m。 燈籠東京都大田区南馬込2丁目-25 富士講燈籠ボク石がある。 横浜市泉区岡津町富士塚関東大震災時に山が崩れ石碑散らばったが、村中人々の力で復元したようである。後部前面一部失っているが、富士塚全体としては現在もよく残っている。

※この「タテカワ講の富士塚」の解説は、「タテカワ講」の解説の一部です。
「タテカワ講の富士塚」を含む「タテカワ講」の記事については、「タテカワ講」の概要を参照ください。

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