ソルジャー・ツアー
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「イギー・ポップ」の記事における「ソルジャー・ツアー」の解説
様々な混乱に見舞われた『ソルジャー』は1980年2月にリリースされた。こちらはアメリカでも同時期に発売されたため、ヨーロッパと北米を中心とした長期のツアーが企画された。アイヴァン・クラールはニューヨークパンク・シーンの仲間の伝手を辿り、補充メンバーとして元マンプス(英語版)のロブ・デュプレイ(英語版)をギタリストとして、元ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ(英語版)のビリー・ラスをベーシストとして連れてきた。新メンバーでイギリスツアーを終了し、北米ツアーに移るが、今度はイギーが「今のリズムセクションはバンドの和を乱すからクビにする」と言い出した。元々、イギーがツアー中に見せる奔放な生活に嫌気が差していたドラムスのクリューガーと、同じく嫌気がさしていたビリー・ラスは解雇を受け入れた。そのため、再びクラールはメンバー補充のためにニューヨークに飛び、ジョン・ケイルとコラボレーションした際に面識を得たセッション・ドラマー、ダグラス・バウンから参加の了解を取り付けた。しかし、ベーシストは見つからず、結局オーディションでマイケル・ペイジを採用した。この後メンバーは固定され、ツアーは3ヶ月ほど続けられたが、『ソルジャー』のセールスはアリスタの想定する水準、『イディオット』『ラスト・フォー・ライフ』と同程度の水準には達しなかったため、マネージャーの庇護もない中、イギーはアリスタの財務担当者のプレッシャーに直接晒されることになった。
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