ソウルオリンピックに初選出・日本女子最高の25位とは? わかりやすく解説

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ソウルオリンピックに初選出・日本女子最高の25位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:53 UTC 版)

浅井えり子」の記事における「ソウルオリンピックに初選出・日本女子最高の25位」の解説

1988年1月大阪国際女子マラソンには、同年9月開催ソウルオリンピック女子マラソン日本代表の座と、日本女子最高記録をかけての出場となったレース後半30Km手前で、浅井宮原美佐子激しデッドヒート展開するが、35km過ぎで宮原のロングスパートを許して突き放され、41km過ぎでは荒木久美にもかわされて4位に落ち最後精根尽き果ててゴール手前よろけて転倒してしまう程であった宮原日本女子初の2時間30突破達成2位宮原3位荒木二人ソウル五輪代表即内定)。その後ソウル五輪女子マラソン日本代表において最後3番手は、1987年11月東京国際女子マラソンで8位の小島和恵と争う形となるも、1988年3月日本陸上競技連盟理事会において、浅井がなんとか滑り込み念願オリンピック選出となった落選小島補欠に)。 それから約半年経った1988年9月開催ソウル五輪女子マラソン本番レースでは、国内選考会の大阪国際女子マラソンとは全く逆に浅井日本人トップゴールした。しかし、ソウル五輪の数週間前に体調崩した影響もあってか精神面でも万全臨めず、メダル・8位入賞争いにはほとんど絡めないまま、結果浅井25位(荒木28位、宮原29位)という成績に終わる。浅井含めて日本女子の三選手は、改め世界との大きな壁を痛感することとなった

※この「ソウルオリンピックに初選出・日本女子最高の25位」の解説は、「浅井えり子」の解説の一部です。
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