ゼートイフェル号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 17:12 UTC 版)
「ヴィルヘルム・バウアー」の記事における「ゼートイフェル号」の解説
ブラントタオハーの沈没の後、バウアーはすぐに次の計画に取り掛かった。より大型で、改良型の潜水艦である。しかし前回の失敗に懲りたシュレスヴィヒ=ホルシュタイン政府は援助を拒否した。 バウアーはシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公国を後にした。その後の数年間、彼はオーストリア=ハンガリー帝国、イギリス、フランスなど数ヶ国にスポンサーを求め続け、55年にロシアの大公と接触。その年のうちにサンクトペテルブルクで第二の潜水艦ゼートイフェル(Seeteufel)を製作した。 前のものと比べて、こちらの潜水艦については情報が少ない。全長はこちらのほうが2倍ほど大きかったと言われる。鉄製の船殻は厚さ2分の1インチで、窓が21個あった。バラストタンクは3つあり、12人が乗り組むよう設計されていた。 前回の失敗を踏まえ、バウアーはゼートイフェルに新発明の救命装置を装備した。一種の潜水鐘である。これはエアロックとして機能し、艦が水中にある時も人の出入りが可能となった。 ゼートイフェルの設計の優秀さは証明された。4ヶ月で133回の潜水航行が成功裏になされた。しかし134回目の潜行時、海底の砂に座礁してしまった。バラストタンクが空になるまで排水し、辛うじて海面まで浮上することができた。バウアーを含む全乗員が救助されたが、ゼートイフェルは再び海底に沈んだ。
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