ゼッキーノ・ドーロの誕生とその目的
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「ゼッキーノ・ドーロ」の記事における「ゼッキーノ・ドーロの誕生とその目的」の解説
この音楽祭は、イタリアのテレビ司会者であるチノ・トルトレッラ(it:Cino Tortorella、後述)が1959年に、児童を対象とした子供向け音楽のコンクールを開催することを発案したことに始まる。このアイディアは、同年にミラノで行われたイベント「サローネ・デル・バンビーノ」の折に進展をみた。マリオ・パンツェーリによって書かれた『Lettera a Pinocchio(邦題:ピノキオへの手紙)』は、カルロ・コッローディ作の童話の登場人物として馴染み深い操り人形のピノッキオに献じられた歌であるが、ジョニー・ドレルリの歌唱によって、優れた歌曲として、またこのイベントにおける最高の曲として、大人にも子供にも印象深いものとなった。 この当時既に番組『木曜日の魔法使いズルリ(Zurlì, il mago del giovedì)』で魔術師ズルリの役を務めていたトルトレッラは、ゼッキーノ・ドーロの第1回めを、ピノッキオの物語で金貨の木が芽生える印象深い場面までの物語として(いくばくかの独自演出を加えつつ)構成した。コンクールの名称は、この「金貨(ゼッキーノ)の木」に由来している。 ゼッキーノ・ドーロは、作曲家・作曲家たちが子供向けの歌を創作するようにと、彼らの意欲を刺激し奨励する効果を持つようになった。このコンクールによる収益金は、世界の恵まれない地域への募金活動「ソリダリエタの花(Il Fiore della Solidarietà)」のために貯蓄される。
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