セレッソ大阪強化部長・監督
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「大熊清」の記事における「セレッソ大阪強化部長・監督」の解説
2014年12月、セレッソ大阪の強化部長に就任。同年の成績不振を踏まえて劣勢や主力欠場に耐えうる複数の実力者を的確に補強し、セカンドチーム発足に備えた人員を確保した。 2015年11月17日、自ら交渉し招聘させたパウロ・アウトゥオリに代わって監督に就任。既にリーグ戦は最終節を残すのみという異例の時期の交代劇であり、最終節とJ1昇格プレーオフ(PO)進出時の同試合の指揮を執ることになった。アウトゥオリの戦い方を引継ぎながらも、チームに欠けていた意思疎通や闘争心、競争意識を高め 軌道修正に成功。最終節東京V戦に勝利して4位でPO出場を確保した。POでは、ベテラン勢を恃みに 粘り強い守備で準決勝・5位愛媛戦の失点を免れ 0-0で決勝進出。PO決勝・3位福岡戦では、試合終了間際に痛恨の失点を喫して 1-1で試合終了となり、J1昇格を逃した。 同年末、2016年の監督留任が決まった。強化担当としての兼務による激務の中で、選手層を活かしきれていないとの批判も浴びたが、2014年途中から瓦解の続いていたチームを一丸とさせ、前年に続きリーグ4位でPOに進出。準決勝・5位京都戦は1-1で決勝に進み、決勝・岡山戦の勝利によって3年ぶりのJ1昇格を果たした。これを手土産に監督を退任し、2017年からは強化部長に専念。
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