セリヌス対セゲスタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:28 UTC 版)
「セリヌス包囲戦」の記事における「セリヌス対セゲスタ」の解説
ギリシア人都市であるセリヌスとエリミ人都市であるセゲスタは長年にわたって交易と紛争を繰り返してきた。両都市は交易相手であり、距離的にも近いため両市民間の結婚を可能にする法律も持っていた。紛争もまた生じていた。フェニキア人はエリミ人と同盟し、紀元前580年にモティア近郊で、紀元前510年にエリュクスでギリシア人の侵攻に対して勝利していた。カルタゴがヘラクレア・ミノアを破壊した際に、セゲスタがどのような役割を果たしたかは不明である。紀元前480年の第一次ヒメラの戦いの際には、セゲスタは中立を保っている(皮肉なことにセリヌスはカルタゴ側であった)。ヒメラの戦い以降の期間は、両都市にとって繁栄の時期であった。紀元前454年頃、モティア、セゲスタ、セリヌスおよびアクラガスを巻き込んだ紛争が起こっているが、カルタゴが介入しなかったこと以外の詳細は不明である。セリヌスは勝利し、セゲスタはアテナイに救援を求めたがその結果も不明である。その後30年間は平和が続いたが、セゲスタの勢力は低下し、紀元前416年に至ってセリヌスは公然とセゲスタに対する敵対行動を開始した。
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