スルタン・アグン・ティルタヤサ
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「バンテン王国」の記事における「スルタン・アグン・ティルタヤサ」の解説
ラフマトゥラーの死後、息子のスルタン・アグン・ティルタヤサ(英語版)が後を継ぎ、バンテン王国を1651年から1692年まで統治した。スルタン・アグン・ティルタヤサは王国を拡大し、オランダ人をバタヴィアから追放しようと画策した。オランダに対抗するために交易活動を振興したり、王国の軍隊に命じてオランダに対して略奪を行わせた。また、住民を扇動してチアンケにあるオランダ所有のサトウキビ農園を襲撃させた。一連の行動は、オランダを困惑させるに至った。 1671年にスルタン・アグン・ティルタヤサは息子のスルタン・アブドゥルカハル(英語版)を摂政に任命し、ティルタヤサに隠遁したが、統治権全般を手放すことはなかった。1674年にスルタン・アブドゥルカハルはメッカ巡礼を行い、トルコを訪問しつつ1676年に帰国した。以後、彼はスルタン・ハジ(英語版)を名乗った。スルタン・ハジはオランダと良好な関係を構築したので、スルタン・アグン・ティルタヤサは快く思わず、王位を取り上げようとした。しかし、スルタン・ハジは応ぜず、両者の間で内戦が起こった。スルタン・アグン・ティルタヤサは捕らえられたのち、バタヴィアに収監され1692年に生涯を終えた。 スルタン・ハジの勝利はバンテン王国崩壊の始まりとなった。バンテン王国がオランダ側の管理下に置かれたためである。スルタン・ハジは単なる傀儡に過ぎなくなった。
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