スパルタ王即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:12 UTC 版)
紀元前235年、クレオメネスは父レオニダスの死にともないスパルタ王位を継いだ。すると彼は、かつてのアギスに習いスパルタの改革を始めた。一方そのころ、シュキオンのアラトス率いるアカイア同盟は、ペロポネソス半島全域の統一をもくろんでいた。レオニダスの死を知ったアラトスは、国境のアルカディアの都市群を攻撃した。プルタルコスによれば、これはスパルタの衰えを推し量るための作戦だった。 紀元前229年、アエトリア同盟を構成するテゲア、マンティネア、カピュアイ、オルコメノスといった都市がスパルタの味方に付いた。ポリュビオスやウィリアム・スミスは、クレオメネスがこれらの都市を裏切って制圧したと主張しているが、プルタルコスのスパルタの記述を翻訳したリチャード・タルバートは、クレオメネスは諸都市の自発的な要請に応じたのだと主張している。同年の後半、スパルタの監督官たちは、メガロポリスとの国境沿いにあり係争中だったアテナイオン砦を制圧するべくクレオメネスを向かわせた。これに対し、アカイア同盟は会議を開き、スパルタとの開戦を決定した。アラトスはスパルタがアテナイオンの防衛を固めていることへの報復としてテゲアとオルコメノスへ夜襲をかけたが、市内の内通者との連携がうまくいかず失敗し、夜襲の事実を悟られないように撤退した。 しかしクレオメネスはアカイア同盟軍が夜襲を試みていたことに気づき、アラトスに遠征の目的を問いただした。アラトスが、クレオメネスのアテナイオン要塞化を止めるためだと返答すると、クレオメネスは「差し支えなければ、なぜあなたたちが松明と梯子を持ってきたのか、理由を書き送ってくれないだろうか。」と返した。
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