スティーグリッツとの協力関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 21:56 UTC 版)
「エドワード・スタイケン」の記事における「スティーグリッツとの協力関係」の解説
1900年にパリを旅行し、その帰りにニューヨークに立ち寄った時に、アルフレッド・スティーグリッツと知り合う。その際、スティーグリッツはスタイケンの絵画を称賛し、さらに彼の写真のプリントも3枚購入した。1902年、「カメラ・ワーク」誌の創刊を準備していたスティーグリッツの依頼で、同誌のロゴデザインを担当する。1904年、スタイケンは当時まだ実用化されていなかったカラー写真の研究を始める。その中の一つは、アメリカで最も早い時期に撮影されたオートクローム作品の一つであった。1905年には、スティーグリッツによる291ギャラリー(ニューヨーク)の開設に協力する。 1911年、スタイケンはフランスの出版業者であるルシアン・フォーゲル(後『ガゼット・デュ・ボン・トン』誌発行人)の依頼により、彼が発行人を務める『Art et Decoration』誌でファッション写真を担当することになった。スタイケンはこの時、ポール・ポワレデザインによるガウンの写真を数枚撮り、これらは同誌の1911年4月号に掲載された。ジェシー・アレキサンダーによるとこれらの写真は、「現在『ファッション写真』と呼ばれている物の先駆的な作品」であり、「シンプルな描写とは対照的に、見る者にそれらの外見のみならず、物質的な性質をも十分に伝わるように撮られている」。 第一次世界大戦中はアメリカ遠征軍の写真部で軍事写真を手がけた。戦後はそれまでのピクトリアリスム作品からストレートフォトグラフィに転じ、徐々にファッション写真への比重を強めていく。1928年のスタイケンによるグレタ・ガルボのポートレートは、彼女の最も有名な写真の一つとなっている。
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