スタニスラス‐ひろば【スタニスラス広場】
読み方:すたにすらすひろば
《Place Stanislas》フランス北東部、グラン‐エスト地方、ムルト‐エ‐モーゼル県の都市、ナンシーの中心部にある広場。18世紀中頃、ルイ15世の義父スタニフワス(スタニスラス)=レシチニスキーがポーランド国王の座を追われて亡命しロレーヌ公となり、大規模な都市開発を行った際につくられた広場の一。同市出身の建築家エマニュエル=エレが設計し、金具工芸師ジャン=ラムールがロココ様式の装飾を手がけた。市庁舎、凱旋門、ナンシー美術館に囲まれる。他の広場と共に、1983年に「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場及びアリアンス広場」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。
スタニスラス広場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 06:28 UTC 版)
「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場」の記事における「スタニスラス広場」の解説
この広場は、フランス王ルイ15世の義父にあたるロレーヌ公スタニスラスが、国王を称えて造らせたものである。1751年から1755年にかけて工事が行われ、国王広場 (Place Royale) と名付けられた。 106m×124mのこの広場を実際に設計したのはエマニュエル・エレである。広場は市庁舎、凱旋門、ナンシー美術館などに囲まれているが、6箇所にロココ様式の美しい金属細工で彩られた鉄柵がある。これは金具師ジャン・ラムールが手がけたものである。広場中央にあった国王の像はフランス革命期に壊されたが、1831年になってムルト県、ヴォージュ県、ムーズ県の寄付を元にスタニスラスの像が設置された。スタニスラス広場と改称されたのはこの年のことである。 この広場の特色は、中世期の旧市街と、16世紀から17世紀にかけての新しい市街を統一しようと設計された都市計画の中心に当たるということにある。広場を取り囲む現在の市庁舎などもエレの設計に基づくものである。 2004年から2005年には修復工事が行われ、2005年には広場の250周年祭が挙行された。
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