スタニスラス広場とは? わかりやすく解説

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スタニスラス‐ひろば【スタニスラス広場】


スタニスラス広場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 06:28 UTC 版)

ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場」の記事における「スタニスラス広場」の解説

この広場は、フランス王ルイ15世義父にあたるロレーヌ公スタニスラスが、国王称えて造らせたものである1751年から1755年にかけて工事が行われ、国王広場 (Place Royale) と名付けられた。 106m×124mのこの広場実際に設計したのはエマニュエル・エレである。広場市庁舎凱旋門ナンシー美術館などに囲まれているが、6箇所ロココ様式美し金属細工彩られ鉄柵がある。これは金具師ジャン・ラムールが手がけたものである。広場中央にあった国王の像はフランス革命期に壊されたが、1831年になってムルト県、ヴォージュ県ムーズ県寄付元にスタニスラスの像が設置された。スタニスラス広場と改称されたのはこの年のことである。 この広場特色は、中世期旧市街と、16世紀から17世紀にかけての新し市街統一しよう設計され都市計画中心に当たるということにある。広場取り囲む現在の市庁舎などもエレ設計に基づくものである2004年から2005年には修復工事が行われ、2005年には広場250周年祭が挙行された。

※この「スタニスラス広場」の解説は、「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場」の解説の一部です。
「スタニスラス広場」を含む「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場」の記事については、「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場」の概要を参照ください。

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