スタニスラフスキーの演出コンセプト
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「モスクワ芸術座版『かもめ』」の記事における「スタニスラフスキーの演出コンセプト」の解説
ハルキウの近くにある兄弟の地所を1898年8月に訪問していた間に、スタニスラフスキーは戯曲『かもめ』の上演プラン(本人が演出用の「スコア」と呼ぶようになるもの)に着手し、ロシアの田舎における自分の感覚的経験を盛り込むことにした。スタニスラフスキーは役者が空間的・近接的な関係を築けるような小さなスケッチからなるストーリーボードで芝居の重要なポイントをプロットした。それぞれのキャラクターについておのおののリズム、身体的な生き様、立ち居振る舞いの癖などについても極めて詳しく考え、「ほとんど映像的な細部まで」決定した。 このスコアは役者が「よだれをたらしたり、鼻をかんだり、唇をピチャピチャいわせたり、汗をふいたり、歯や爪を細い棒で磨く」時のことまで指示していた。こうした厳しいミザンセーヌのコントロールにより、スタニスラフスキーは芝居の表面の下にサブテクストとして隠れていると考えられる内なるアクションを一貫したやり方で表現できるようにしようとしていた。フセヴォロド・メイエルホリドは、スタニスラフスキーが死の床で「舞台における私の唯一の後継者」と呼んだ演出家で理論にも携わる演劇人であったが、このプロダクションではコンスタンチンを演じている。のちにスタニスラフスキーがこの芝居を扱った際の詩的効果について書き残しており、細かい日常的な描写が人物のアクションに結びつく「チェーホフの散文に隠れた詩」をスタニスラフスキーがうまく生かしたと述べている。スタニスラフスキーの演出用スコアは1938年に出版された。
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