モスクワ芸術座版『かもめ』とは? わかりやすく解説

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モスクワ芸術座版『かもめ』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 02:56 UTC 版)

1898年モスクワ芸術座で上演されたアントン・チェーホフの『かもめ』 (Чайка)コンスタンチン・スタニスラフスキーヴラジーミル・ネミロヴィチ=ダンチェンコの演出によるもので、まだ新しい劇団であったモスクワ芸術座にとって記念碑的な第一歩となるプロダクションであった。この上演は「ロシアの舞台芸術史における最も偉大な出来事のひとつであり、世界の演劇史における最もすばらしい新展開のひとつでもあった[1]」と称されている。アントン・チェーホフの戯曲『かもめ』のモスクワ初演であったが、この芝居は既に2年前にサンクトペテルブルクで初演されていて、その時の上演は成功とはいえないものであった。ネミロヴィチ=ダンチェンコはチェーホフの友人であり、初演の批評があまりよくなかった後、再演を渋る原作者チェーホフの抵抗を打ち破って、新しく創設された革新的な劇団であるモスクワ芸術座(MAT)のためこの芝居を演出するようスタニスラフスキーを説得した[2][注釈 1]。この上演は1898年12月29日(ユリウス暦では12月17日)に開幕した。モスクワ芸術座の上演は大成功をおさめたが、これは劇中に登場する日常生活の繊細な表現を忠実に再現し、親密感のある群像劇を作り上げ、当時のロシアのインテリゲンチャに蔓延していた活気と確信に欠ける心理的傾向をうまく反響させていたためであった[3][注釈 2]。この公演により、モスクワ芸術座の特色である独特のリアリズム的作風が完成した[4]。この歴史的上演によってモスクワ芸術座はみずからのアイデンティティを確立し、これを記念するため今日までエンブレムカモメを採用している[5]


注釈

  1. ^ チェーホフは、ネミロヴィチ=ダンチェンコにあてて、「断じて戯曲など書かない。上演も許さない。たとえ七百歳まで生きようとも」と手紙に書いた。最初の上演許可拒絶のあと、再三懇請しても応じなかったが、ネミロヴィチ=ダンチェンコは膝詰め談判に訴えた。山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 p.28
  2. ^ ネミロヴィチ=ダンチェンコの言葉を借りれば、「一つの劇場で十年に一度しか起り得ない」成功であった。山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 p.28
  3. ^ Benedetti (1999, 79). For an English translation of Stanislavki's score, see Balukhaty (1952).
  4. ^ 上演はそもそも序幕から完全に観客を征服した。幕がしまる。すると沈黙だった。客席も舞台も両方とも完全な沈黙であった。それはまるで皆固唾を呑んだかのようであった。まるで何が何やら誰一人分からないかのようであった。幻だったのだろうか。夢だったのか。そんな気分が長い間続いた。あんまり長いので、舞台の方は失敗したものときめた。完全な失敗なので、客席の友人も一人として敢て喝采しないのだときめた。ぞっとするような寒気が俳優たちを襲った。そのとき、突如客席に事が起った。それはあたかも堰が切れたか、爆弾が炸裂したかのようであった。――俄かに耳を聾するばかりの喝采の轟きだったのだ。幕が6回以上も開閉された。すると、また突如として喝采がやんだ。観客はあたかもいま経験したばかりのものの立派さを無にすることを怖れるかの如くであった。上演は始終こういう気分を保ち続けた。そして終幕の終わりは勝利の紛れもない歓呼に迎えられ、ネミロヴィチ=ダンチェンコが舞台に上って不在の作者チェーホフに祝電を送ることを提唱すると、嵐のような大喝采が信じがたいほど長く鳴りやまなかった。山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 pp.28-29
  5. ^ Chekhov and the Art Theatre, in Stanislavski's words, were united in a common desire "to achieve artistic simplicity and truth on the stage"; Allen (2001, 11).

出典

  1. ^ Rudnitsky (1981, 8) and Benedetti (1999, 85).
  2. ^ Benedetti (1999, 73) and (1989, 25).
  3. ^ Braun (1981, 64).
  4. ^ マイヤ・コバヒゼ『ロシアの演劇教育』成文社、2016年6月、14頁。ISBN 9784865200218OCLC 1006950005https://www.worldcat.org/oclc/1006950005 
  5. ^ Braun (1981, 62, 64).
  6. ^ a b c Benedetti (1999, 76).
  7. ^ Worrall (1996, 109).
  8. ^ Braun (1981, 62-63).
  9. ^ Rudnitsky (1981, xv) and Braun (1982, 62).
  10. ^ Worrall (1996, 107).
  11. ^ Benedetti (1999, 80).
  12. ^ Benedetti (1999, 79-81).
  13. ^ Braun (1982, 62).
  14. ^ a b Benedetti (1999, 85).
  15. ^ Benedetti (1999, 85, 386).
  16. ^ a b c Benedetti (1999, 86).
  17. ^ Benedetti (1999, 89).
  18. ^ Benedetti (1999, 89-90) and Worrall (1996, 108).
  19. ^ Benedetti (1999, 90).


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