スウェーデン国王カール12世の帰還(1714年11月)
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「ポメラニア戦役 (1715年-1716年)」の記事における「スウェーデン国王カール12世の帰還(1714年11月)」の解説
1709年、ポルタヴァの戦いで壊滅的な敗北を喫したスウェーデン国王カール12世は、5年間をオスマン帝国で過ごした後、1714年11月11日からスウェーデン領の要塞都市シュトラールズントに滞在していた。彼は当時、オスマン帝国に属していたルーマニアからポンメルンまでの2,400キロメートルを、15日間で一気に駆け抜けることに成功した(ピテシュティからシュトラールズントへ向かうカール12世の騎行(ドイツ語版))。町の住民の歓声に囲まれつつ、事態を見誤っていたカール12世の目標は、ポンメルンにおけるかつての勢力関係の修復であった。その指導の下、最大10,000名が参加した要塞施設の補強工事が促進される。さらに彼は小規模で装備も貧弱ながら、自身に忠誠を誓う軍団を召集した。 1715年1月、カール12世は作戦を開始し、シュトラールズント要塞を保全するべくリューゲン島の南岸と東岸に兵を配した。同年2月23日には、プロイセン軍(英語版)が20名の守備隊を配置していたヴォルガストを占領する。4月22日、スウェーデン軍はウーゼドム島に上陸するとプロイセンの小部隊を圧倒した。これを受けてフリードリヒ・ヴィルヘルム1世はスウェーデン公使を追放し、計画されていた戦役の開始を指示したのである。
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