ジョン・ウィルクスとの連携
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「ジョン・アーモン」の記事における「ジョン・ウィルクスとの連携」の解説
アーモンとジョン・ウィルクスは1761年10月に知り合い、以降1797年にウィルクスが死去するまで2人は親しい友人関係を維持した。英国人名事典によると、アーモンはウィルクスを「第2のハムデン(英語版)かシドニー」と考え、ウィルクスはアーモンを「友人で信頼のおける、誠実な本屋さん」(friend, and an honest worthy bookseller)と考えたという。ウィルクスが一時フランス王国に逃亡した時期でもほかの友人を頼りに郵便局による検閲をかいくぐり、文通を続けた。 しかし、ウィルクスが政権と抗争している最中でも公にウィルクスへの支持を続けたため、1770年1月には(政府が扇動的名誉毀損文書として扱った)匿名作家ジュニアス(英語版)の国王への手紙を含むLondon Museumの販売のかどで起訴され、罰金刑に処されるとともに2年間の謹慎を誓約させられた。アーモンは反撃として判決の直後に『ジョン・アーモンの裁判』(The Trial of John Almon)を出版、「法務長官ウィリアム・ド・グレイが提出した証拠」という形でジュニアスの手紙を再出版することに成功した。
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