ジョンズホプキンス医科大学初代外科教授
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「ウィリアム・スチュワート・ハルステッド」の記事における「ジョンズホプキンス医科大学初代外科教授」の解説
1892年、ジョンズ・ホプキンス医科大学(英語版)が開校し、病理学・細菌学のウェルチ、内科のウイリアム・オスラー、婦人科のハワード・ケリー(英語版)らと共に招聘され、初代の外科教授として医科大学の指導を担った。ハルステッドら開校時の教授は、後に「ビック・フォー」と称された。 この大学では、それまでの徒弟制度を廃して、アメリカで最初の正式な外科研修医制度が始まった。この制度では、学生たちは病院と提携した大学の提供する研修の中で、徐々に臨床医としての技術と責任感を見につけていく。この制度はハルステッドが始めたことで評価されているが、これは主にヨーロッパ(特にドイツやオーストリア、スイス)の制度に基づいている。ただし、このプログラムはウィリアム・オスラーに負う所も多い。この制度は、今日もアメリカで実施されている研修制度の基盤で、日本のインターン制度にも大きな影響を与えた。 さらに、ハルステッドは鼠径ヘルニアの術式をアメリカで初めて実施した。この鼠径ヘルニアは1878年のヨーロッパでの研修時代に教えを受けたエドアルド・バッシーニが1884年に実施したが、1890年代までこの手術はイタリア国外に知られていなかった。1895年には、後に脳外科のパイオニアとなるハーヴェイ・クッシング(英語版)がハルステッドのもとで学んだほか、泌尿器科を創設することになるヒュー・ヤング(英語版)も訓練を受け始めている。
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