ジョルジェット・ジウジアーロ時代
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「カロッツェリア・ギア」の記事における「ジョルジェット・ジウジアーロ時代」の解説
1963年セグレの死後、1966年にギア社はラムフィス・トロヒーヨ(Ramfis Trujillo)に売却され、1967年には再度ライバルのデザイン会社のオーナーであったアレッサンドロ・デ・トマソの手に渡るなど、その経営環境は不安定であった。しかしこの間、1965年にはセグレの後任のチーフスタイリストとしてジョルジェット・ジウジアーロが入社しており、セグレ時代同様に多くの優れたデザインが製品化された。 この時代の代表作としてはマセラティ・ギブリ(1966年)、デ・トマソ・マングスタ・イソ・リヴォルタ・フィディア(共に1967年)がある。ギアは当時日本のいすゞ自動車をクライアントとしており、いすゞ・117クーペ(1966年プロトタイプ発表・1968年発売)もこの時期のギアの秀作の一つである。また、ジウジアーロのデザインではないが、いすゞ・フローリアン(1966年プロトタイプ発表・1967年発売)もこの時期のギア社のデザインである。 ギア社がデ・トマソの傘下に入った翌年の1968年、ジウジアーロはギアを辞めて自らの会社・イタルデザインを興した。後任のチーフスタイリストはトム・チャーダで、フォード社製5,750 cc(351 cu in)OHV V型8気筒 エンジン搭載のデ・トマソ・パンテーラの開発に関わった。
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