シンボルマーク・マスコット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 23:38 UTC 版)
「大阪近鉄バファローズ」の記事における「シンボルマーク・マスコット」の解説
本拠地の変遷は先述の通りであるが、他に下記のような移転計画があった。 1960年代には近鉄の東端である名古屋への移転を計画したが、愛知県を保護地域としている中日ドラゴンズの反対で実現しなかった。しかし、ナゴヤ球場及びナゴヤドームでは1990年代後半まで、年数試合の主催試合を開催していた(但しこれもナゴヤドーム移転後は観客動員が極端に落ち込んだため数年で撤退した)。 1970年代に西本幸雄が佐伯勇オーナーに、近鉄沿線の花園ラグビー場周辺を整備して野球場を建設し、本拠地を移転することを進言したところ、「(お金が)幾らかかると思っているんだ」と近鉄グループ単独による建設が困難であることを伝えられたという。その後、1980年代初頭の藤井寺ナイター問題時には、ラグビー場の所在地である東大阪市が受け入れと球場の建設費用出資に名乗りを上げたことが新聞報道されたが、藤井寺のナイター設備設置計画がまとまったことで立ち消えとなった。なお、この花園ラグビー場周辺はその後東大阪市営の花園中央公園として整備され、野球場「花園セントラルスタジアム」も建設された。2013年にはオリックス2軍が主管試合を開いている。 また、青木一三は著書で、佐伯オーナーが1979年頃に、愛媛県を本拠とする来島どっくグループ総帥の坪内寿夫に球団売却の申し入れをおこなっていたと記している。
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