シンツィンガー&ハック商会
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「フリードリヒ・ハック」の記事における「シンツィンガー&ハック商会」の解説
1920年ドイツに帰国。ハックは退役陸軍少佐でクルップ社の日本代表の経歴も持つアドルフ・シンツィンガー(Albert Schinzinger)と共に、シンツィンガー&ハック商会 (Schinzinger & Hack Co.) を設立した。ハックはこの会社を通じて日独両海軍の技術面での情報交換を進めることになる。大木毅はその背景として、日英同盟の廃棄でイギリスの技術導入が見込めなくなった日本と、ヴェルサイユ条約で潜水艦や航空機の保有を禁止されたドイツとの利害の一致があると指摘している。 ハックと日本海軍の接触は、1920年に渡欧した三菱の技術者を案内したことが記録に残る最初で、1921年頃にはベルリンの日本海軍事務所の顧問のようになっていた。ハックは日本海軍にハインケル社の航空機などを売り込み、関係を強めた。さらに1923年には当時のドイツ海軍統帥部長官、パウル・ベーンケ(Paul Behncke)大将を説き伏せ、日本海軍に技術を供与する意向がある旨を伝える書簡を書かせ、帰国する駐独大使館付海軍武官・荒城二郎に手交させた。またハインケル社とも密接な関係を築き、後には同社の対日代表にも就任した。
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