シュトラールズント攻囲戦後の作戦行動
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「ポメラニア戦役 (1715年-1716年)」の記事における「シュトラールズント攻囲戦後の作戦行動」の解説
12月26日、プロイセン・デンマーク両国の王は指揮下の軍の先頭に立ち、シュトラールズントに入城した。スウェーデン兵は残らず捕虜となったが、数か月後に釈放されるか、連合軍に転仕した。このようにして、1716年7月1日に限ってもスウェーデン軍の捕虜600名が、プロイセン軍第18歩兵連隊に入隊している。 町の占領後、デンマーク国王フレゼリク4世はフリードリヒ・ヴィルヘルム1世との合意に基づき、シュトラールズントで臣従儀礼を受けた。こうしてシュトラールズントは、ほぼ5年間にわたってデンマークに併合されることとなる。 11月2日、ハノーファーから歩兵2個大隊と騎兵4個中隊が来援していたヴィスマールの攻囲戦(ドイツ語版)は冬を越えて続き、厳しい寒さが攻囲軍を大いに苦しめた。10か月の攻囲を経た1716年4月19日、ヴィスマールはようやくプロイセン軍とハノーファー軍に攻略される。これによって、北ドイツ(英語版)最後のスウェーデン領が敵軍の手に落ちた。その後、ヴィスマール要塞(ドイツ語版)は破却された。
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