シャーマン軍時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 07:06 UTC 版)
「ウィリアム・ヘイズン」の記事における「シャーマン軍時代」の解説
カンバーランド軍の司令官職には、解任されたローズクランズに代わってジョージ・ヘンリー・トーマス少将がついていた。ヘイズンの旅団はゴードン・グランジャー少将の師団の下につけられていたが、1863年11月、グラントがノックスビル救援に向かったグランジャーが有する指揮権をウィリアム・シャーマン少将に移管したため、ヘイズンはシャーマンの指揮の下に入ることになった。 1864年のアトランタ方面作戦においても数々の戦闘に参加した。とくに5月のピケッツミルの戦いでは適切な支援もないままに攻撃に移らざるをえなくなり、大きな被害を受けた。作戦後半からはテネシー軍第15軍団の師団長に抜擢された。9月2日のアトランタ陥落後、正規軍名誉大佐に昇進している。 アトランタの陥落に続き、シャーマンは大西洋沿岸を目指す「海への進軍」を開始する。この作戦の最終目標であるサバンナ攻略を前に、シャーマンはヘイズンの師団にマカリスター砦の攻略を命じた。12月13日払暁、ヘイズンはマカリスター砦を強襲、圧倒的兵力差を武器に1日で陥落させる。これによってシャーマン軍は海軍と連絡を取り合うことが可能になり、サバンナ陥落は時間の問題となった。ヘイズンは同日付で義勇軍少将に昇進し、サバンナも12月20日に陥落した。続くカロライナ方面作戦で南軍はほぼ壊滅し、1865年3月13日に正規軍名誉少将に昇進、4月28日に帰還命令を受け取った。
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