シャークの喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/15 23:25 UTC 版)
「シャーク (SS-174)」の記事における「シャークの喪失」の解説
日本側の記録には、当該海域にシャークがいたと想定される期間に、未確認の潜水艦に対する多数の攻撃が行われたことが残されている。そのうちのどれかが、シャークの最期とも考えられている。木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』25、26、27ページには、有力な候補として以下の2つの攻撃をあげている。 まず1つは、2月11日1時37分頃の駆逐艦山風による攻撃である。山風はマナド沖で北北西の方向に向かう浮上潜水艦に対しサーチライトを照射し、次いで12.7センチ砲で砲撃を行った。10分間の戦闘で潜水艦は沈み始め、水中からの音声は確認されたが、生存者を救助する試みは成されなかった。 もう1つは、2月17日23時38分頃の駆逐艦雷による攻撃である。雷はセレベス島東岸を南下中に雷撃されたが、これを回避。雷は反撃に出て、2月18日0時45分ごろに、探知した潜水艦に対して爆雷攻撃を行った。潜水艦は雷に対し3本の魚雷を発射したもののすべて回避され、雷は複数回の爆雷攻撃を実施したところ、水中からの反応が消えた。攻撃後の海面には重油が浮かび上がっていた。 両方の攻撃とも、相手が明らかにシャークであるという確証はないが、アメリカ側の記録では2月11日の攻撃をシャークの喪失原因としている。 シャークは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。
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