シティグループ・クラスター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 02:17 UTC 版)
「サンフォード・ワイル」の記事における「シティグループ・クラスター」の解説
1998年4月、ワイルのトラベラーズがシティコープと合併してシティグループとなった。ワイルは社長・会長となった。そして年内に右腕のジェームズ・ダイモンを解雇した。ワイルとジョン・リード(John S. Reed)がシティグループの共同CEOとして経営に当った。1999年10月、ワイルはロバート・ルービンを会長に据えた。2001年、ワイルはニューヨーク連邦準備銀行のクラスA取締役となった。2002年2月、リードは退任した。2004年シティグループが集団訴訟で26.5億ドルの和解金を支払うことに合意した。ワールドコムの悪化した財政状態を知りながら、ソロモン・スミス・バーニーは顧客に楽観的な説明をしてワールドコムの発行した社債・株式を販売していた。2006年チャールズ・プリンス(Charles Prince)がシティグループ会長となり、サブプライム・ローン関連業務に傾倒していった。世界金融危機がおこると、ソロモン・スミス・バーニーが2009年1月モルガン・スタンレーに買収された(モルガン・スタンレー・ウェルス・マネジメント)。2012年LIBOR不正操作の取締に際して、ワイルは規制当局と意見を共有した。彼の意見は投資銀行部門を切り離そうとする点で事件を反省するものであったが、他方では金融機関への公的資金注入を避けるため投資銀行の租税回避行為等に対して寛大な政策を志向する側面もあった。この考え方には2016年パナマ文書公開という形で一定の審判がくだされた。
※この「シティグループ・クラスター」の解説は、「サンフォード・ワイル」の解説の一部です。
「シティグループ・クラスター」を含む「サンフォード・ワイル」の記事については、「サンフォード・ワイル」の概要を参照ください。
- シティグループ・クラスターのページへのリンク