サン・ヴィターレ聖堂
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サン・ヴィターレ聖堂(伊: Basilica di San Vitale)は、イタリアのラヴェンナにあるビザンティン建築・初期キリスト教建築の代表的な聖堂(教会堂)であり、カトリック教会のバシリカ。6世紀前半に建設された。ラヴェンナでは非常に著名な聖堂であるが、司教座聖堂ではなく、聖ウィタリスの聖遺物を信仰するためのマルティリウム(殉教者記念礼拝堂)である。八角形の集中式平面というかなり特殊な平面構成をもち[1]、9世紀の歴史家アグネルスは、他のいかなるイタリアの教会建築とも類似しないと述べている。
- ^ 池上英洋『美しきイタリア 22の物語』光文社、2017年、40頁。ISBN 978-4-334-04303-2。
- ^ J.ラウデン『岩波 世界の美術 初期キリスト教美術・ビザンティン美術』p134。
- ^ J.ラウデン『岩波 世界の美術 初期キリスト教美術・ビザンティン美術』p134-p135。
- ^ R.クライトハイマー『Early Christian and Byzantine Architecture』p232。建設の開始について、R.クラウトハイマーは540年頃としているが、C.マンゴーはエクレシウス時代に起工、ウルシキヌス、ウィクトル時代に工事が進捗したとしている。C.マンゴー『図説世界建築史5ビザンティン建築』p79。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史5ビザンティン建築』p79。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史5ビザンティン建築』p82。R.クライトハイマー『Early Christian and Byzantine Architecture』p234。
- ^ R.クライトハイマーは、ハギア・ソフィア大聖堂の設計を行ったアンティミオスとイシドロスか、彼らに近い有能な人物と推測している。R.クライトハイマー『Early Christian and Byzantine Architecture』p236。
- ^ 構造の違いは、すぐ側に建設されているガッラ・プラキディア廟堂と比較すれば明瞭である。
- ^ このため、C.マンゴーはこの建物の建築家を北イタリア出身者としている。C.マンゴー『図説世界建築史5ビザンティン建築』p82。
- ^ 『ビザンティンの聖堂美術』 2011, p. 122.
- ^ 近年ではテオドラの右隣にいる女性はベリサリウスの妻アントニナ、その右隣の女性はベリサリウスとアントニナの一人娘ヨアンニナとの説がある。ヨアンニナと思われる女性は左手でさりげなくアントニナと思われる女性に触れているが、これは両人が親族であることを示しているという。
- ^ 近年ではベリサリウスの妻でテオドラの親友アントニナではないかとの説が浮上している。
- ^ 池上英洋『西洋美術史入門』筑摩書房、2012年、120頁。ISBN 978-4-480-68876-7。
- 1 サン・ヴィターレ聖堂とは
- 2 サン・ヴィターレ聖堂の概要
- 3 モザイク
- 4 内陣および至聖所のモザイク画
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