サンシュ1世 (ポルトガル王)とは? わかりやすく解説

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サンシュ1世 (ポルトガル王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 00:04 UTC 版)

サンシュ1世
Sancho I
ポルトガル国王
在位 1185年 - 1211年

出生 (1154-11-11) 1154年11月11日
ポルトガル王国コインブラ
死去 (1211-03-26) 1211年3月26日(56歳没)
ポルトガル王国、コインブラ
埋葬 ポルトガル王国、コインブラ、サンタ・クルース修道院
配偶者 ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ
子女 一覧参照
家名 ブルゴーニュ家(ボルゴーニャ家)
王朝 ブルゴーニュ王朝(ボルゴーニャ王朝)
父親 アフォンソ1世
母親 マファルダ・デ・サボイア
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サンシュ1世Sancho I, 1154年11月11日 - 1211年3月26日)は、ポルトガル王国ブルゴーニュ王朝の第2代国王(在位:1185年 - 1211年)。初代国王アフォンソ1世と最初の王妃でサヴォイアアメデーオ3世の娘マファルダ・デ・サボイアの息子。

政治手腕に優れ、父の時代に行なわれたレコンキスタによる勢力拡大でポルトガルの領土が拡張したため、その支配地にポルトガル人やフランドル人を積極的に殖民することを奨励してポルトガルの内政を確立したことから「殖民王」と称された。

生涯

1185年、父の死去により後を継ぎ、コインブラ大聖堂で戴冠した。

1189年第3回十字軍の艦隊が本隊と合流するためイベリア半島に寄港した際、この艦隊の支援を得て南部のアルガルヴェ地方にあるシルヴェス・アルヴォルを包囲・陥落させた。ところが翌1190年ムワッヒド朝アミールヤアクーブ・マンスールが北上、キリスト教勢力はタホ川(テージョ川)流域まで押し返され、1191年にシルヴェスを奪還されアルガルヴェを失っただけでなく、再北上したマンスール軍にセトゥーバル県パルメラアルカセル・ド・サルアルマダまで占領されてしまった。止む無くサンシュ1世はムワッヒド朝と講和、以後はタホ川から北の土地へ入植を奨励し、ポルトガル北部やフランドルからの移民を招いて殖民と土地開発に専念した。東部のベイラにあるグアルダ・コヴィリャンも集団移住と開拓が進められた[1]

1191年、甥のレオンアルフォンソ9世カスティーリャアルフォンソ8世に反発すると、ナバラサンチョ6世アラゴンアルフォンソ2世と共に反カスティーリャ同盟に加わった。しかし1196年にアルフォンソ9世がローマ教皇ケレスティヌス3世破門され、翌1197年に討伐命令がポルトガルに出されると、アルフォンソ8世とアラゴン王ペドロ2世(アルフォンソ2世の子)に与して、アルフォンソ9世にカスティーリャとの講和を余儀無くさせた。また文化面でフランスの影響が見られ、トルバドゥールが生み出す宮廷文化が開花した[2]

1211年に死去、コインブラのサンタ・クルース修道院に埋葬された。王妃ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナとの間の息子アフォンソ2世が王位を継いだ。

子女

1174年バルセロナラモン・バランゲー4世とアラゴン女王ペトロニーラの長女ドゥルセと結婚、11人の子を儲け、9人が成長した。

脚注

  1. ^ マルケス、P51、P62、安部、P29 - P30、ローマックス、P161 - P162、合田、P362、金七、P48 - P49。
  2. ^ ローマックス、P165 - P166、合田、P375、西川、P137。
  3. ^ 西川、P140。

参考文献

  • A.H.デ・オリヴェイラ・マルケス著、金七紀男訳『世界の教科書=歴史010 ポルトガル 1』ほるぷ出版、1981年。
  • 安部真穏『波乱万丈のポルトガル史』泰流社(泰流選書)、1994年。
  • D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動刀水書房、1996年。
  • 合田昌史「ポルトガルの誕生」『新版世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』収録。立石博高編、山川出版社、2000年。
  • 金七紀男『ポルトガル史(増補新版)』彩流社、2010年。
  • 西川和子『スペイン レコンキスタ時代の王たち 中世800年の国盗り物語』彩流社、2016年。

関連項目




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