サンシュ4世 (ガスコーニュ公)とは? わかりやすく解説

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サンシュ4世 (ガスコーニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 06:36 UTC 版)

サンシュ4世・ガルシア
Sanche IV Garcia
ガスコーニュ公
在位 930年 - 950/5年

死去 950/5年
子女 サンシュ5世
ギヨーム
ゴンバルド
ウダルリッチ(ウドゥルリッチ)
家名 ガスコーニュ家
父親 ガスコーニュ公ガルシア2世・サンシュ
母親 アムナ・ド・ペリゴール
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サンシュ4世・ガルシアフランス語:Sanche IV Garcia / Sanche IV Garcie, 950/5年没)または、サンチョ4世・ガルセススペイン語:Sancho IV Garcés)[注釈 1]は、ガスコーニュ公(在位:930年 - 950/5年)。その在位中に兄弟たちがガスコーニュの重要な地域を継承し、事実上かつおそらく法律上独立していた公国が歴史的にほぼ忘れ去られ、公領は大幅に縮小した。

生涯

サンシュ4世についてはオーシュ特許状台帳ガルシア2世・サンシュの息子として確認され、『ロダ写本』においてはガスコーニュ公領の継承者として記録されている。父の死により、サンシュ4世がロマージェン、ガバレ、テュルサンおよびブルイロワの子爵領を含む公領を継承した[1]。弟ギヨームおよびアルノーはフェザンサックおよびアスタラックを伯位とともにそれぞれ継承した。このようにガスコーニュ公領は分割相続され、縮小した。

932年にフロドアルドは、ルエルグ伯エルマンゴーとその甥トゥールーズ伯レーモン・ポンスフランス王ラウールに対し臣下の礼を取るため「Lupus Aznar Vasco」を伴ってきたことを記録している。Lewisは「Vasco」をガスコーニュ公と解し、この人物を「サンチェス」としているが[2]、おそらくこれはサンシュ4世のことであると考えられる。

オーシュの特許状台帳によるとサンシュ4世には2人の庶子がいたことが確認され、それぞれ後にガスコーニュ公位を継承した。サンシュ5世がサンシュ4世の跡を継ぎ、その後ギヨーム嗣子のいなかった兄サンシュ5世の跡を継いでガスコーニュ公となった。また、3番目の息子ゴンバルド(Gombald)は、有名な多元論者の司教となり、長く空席だったボルドー大司教に再任されるまで、ガスコーニュのさまざまな司教座をまとめて保持していた。4番目の息子ウダルリッチまたはウドゥルリッチは特許状において確認されている。おそらく全ての息子が庶子であったとみられる。

注釈

  1. ^ バスク語:Antzo Gartzia、ガスコーニュ語:Sans Gassia。他にも多くの綴りが見られる。

脚注

  1. ^ Monlezun 1846, p. 363.
  2. ^ Lewis 1965, Chapter X, 187n.

参考文献

先代
ガルシア2世・サンシュ
ガスコーニュ公
930年 - 950/5年
次代
サンシュ5世



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