サルース神殿寄進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 22:41 UTC 版)
「ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス (紀元前317年の執政官)」の記事における「サルース神殿寄進」の解説
ガイウス・ユニウスは三度目の執政官の時、サムニウム軍の待ち伏せ攻撃に会ったが、このときユーピテルとマールスに祈り、サルースには脱出を誓った。 サルースは健康、富、安全、個人的・国家的困難からの救済の女神である。この頃は疫病も流行しており、紀元前313年にはガイウス・ポエテリウス・リボ・ウィソルスが、流行を抑えるための「釘打ち」の儀式のために任命されている。疫病の流行も、サルースの恩恵に対する畏敬を招いたと思われ、ガイウス・ユニウスはサルースに脱出を誓った戦闘の5年後、即ち、ケンソルを務めていた紀元前307年に、神殿の建設を公約したと思われる。紀元前302年には独裁官として、その奉納を監督している。 神殿にはクィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌスの親戚のガイウス・ファビウス・ピクトル(en)が絵を描き、彼の家族のコグノーメンであるピクトル(画家)は、このときに得たものと思われる(ローマ最初の歴史家とされるクィントゥス・ファビウス・ピクトルは、彼の孫)。紀元前91年にデキムス・ユニウス・シラヌス(en)が鋳造したデナリウス銀貨にはサルースが刻印されているが、これは彼の祖先がこの神殿を建設したことを思い出させることを意図したものであろう。
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