サルヴェスターン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 03:58 UTC 版)
Sarvestan سروستان | |
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市(シャフル) | |
シャイフ・ユーソフ・サルヴェスターニー廟 | |
座標:北緯29度16分25秒 東経53度13分13秒 / 北緯29.27361度 東経53.22028度座標: 北緯29度16分25秒 東経53度13分13秒 / 北緯29.27361度 東経53.22028度 | |
国 | イラン |
州 | ファールス州 |
郡 | サルヴェスターン郡 |
地区 | 中央地区 |
標高 | 1,557 m |
人口 (2016年) | |
• 合計 | 18,187 [1]人 |
等時帯 | UTC+3:30 (IRST) |
• 夏時間 | UTC+4:30 (IRDT) |
市外局番 | +98712522 |
サルヴェスターン (ペルシア語: سروستان Sarvestân/Sarvestān/Sarvistān, "杉の土地"; サルヴ(杉(糸杉)) + estanの意)[2]とは、イランのファールス州の都市であり、サルヴェスターン郡の郡中心市に定められている。2006年当時の人口は16,846人、4,094世帯。[3]ファールス州の州都シーラーズの南東76kmに位置する。[4]
住民の大部分はペルシア人である。サルヴェスターンでは小麦、ピスタチオ、オリーブなどの熱帯・亜熱帯植物が栽培されており、ヨーグルトでも知られている。[5]
歴史
サルヴェスターンの歴史はアケメネス朝が建国された2,600年ほど前にさかのぼる。シーラーズから90km離れた町の南東に宮殿の遺跡が存在し、サーサーン朝時代(224年 - 651年)に建設された支配者の宮殿、あるいはゾロアスター教の拝火神殿だと推定されている。1956年に宮殿はイラン国家遺産リストに登録されたが、非専門家によって行われた修復作業によって、遺跡は危機的な状態にある。
市の近郊には、聖人シャイフ・ユーソフ・サルヴェスターニーの霊廟が置かれている。[4]
脚注
- ^ “Statistical Center of Iran > Home”. 2023年8月16日閲覧。
- ^ サルヴェスターンはGEOnet Names Serverのこのリンクで見つけることができる。特別な検索ボックスを開け、「Unique Feature Id」で「-3083107」を入力し、「Search Database」をクリックする。
- ^ "Census of the Islamic Republic of Iran, 1385 (2006)". Islamic Republic of Iran. 2011年11月11日時点のオリジナル (Excel)よりアーカイブ。2023年8月16日閲覧。
- ^ a b 鈴木均「サルヴェスターン」『世界地名大事典』第3巻、朝倉書店、2012年、443頁。
- ^ http://www.sarvestan-city.blogfa.com
サルヴェスターン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/24 00:53 UTC 版)
「ファールス地方のサーサーン朝考古景観」の記事における「サルヴェスターン」の解説
都市サルヴェスターン(英語版)の南10km前後に残る宮殿の遺跡が、サルヴェスターン郡唯一の構成資産である。 そのサルヴェスターンのサーサーン朝時代の宮殿は、5世紀前半の王バハラーム5世(英語版)(バハラームグール)が建てたとも言われるが、放射性炭素年代測定で資料から測定される年代は7世紀後半から9世紀までのものである。ゆえにサーサーン朝末期の建造物であり、王朝滅亡後もしばらく利用されていたらしい。機能としては王宮と信じられていたが、考古学的知見を基に「火の寺院」だった可能性も指摘されている。
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